京都着物まち歩き〜平安京ゴーストバスターズ
ここでは着物イベント午前部の京都着物まち歩きのアフターレポートを書かせて頂きます。
思ったより長くなったので、町歩きとお手入れを別けました。
2/2に当社企画「着物イベント」を行いました。
午前の部、午後の部と別けての開催で、午前の部には「京都着物まち歩き」を行い、午後の部は「京都着物まち歩き〜平安京ゴーストバスターズ」を行いました。
午前午後合わせて総勢30人の方々に参加頂きました。
大変盛り上がりました!
町歩き、ランチ、お手入れ講座、講座アフター、打ち上げと最後までおられた方とは13時間近くもご一緒致しました。
このアフターレポートではその13時間をダイジェストでご紹介させて頂きます。
ここでは以下の通りの話で区切っています。
※写真撮影・文:森本勇矢
集合
集合場所は堀川一条上がる東側のバス停前です。
この日は1週間ほど前から、「雨のち曇り」の予報で、祈りも空しく、前日の夜から雨。当日9時頃も雨が降ってました。
予報では雨は大まかに9時頃までのような雰囲気だったので、「やんでくれ!」とずっと祈っておりました。
するとどうでしょう。9時半頃にはすっかりやんでいました。
かなり曖昧な天候だったため、キャンセルが出たのは残念でしたが、開始時間である午前10時には19名の方にお越し下さいました。
葛城玄幽(トオル)氏
主催者である私(森本勇矢)が簡単な挨拶。そしてガイドのご紹介。
今回、この町歩きのガイドを務めて下さるのは葛城玄幽氏。
かつては妖怪カフェ「妖怪堂」の店主として葛城凶、現在では葛城トオルと名乗っておられ、「妖怪や魔界」をキーワードにガイドや講師をこなすほか、様々な活動や顔をもたれている方です。最近では大人のための「オトナの寺子屋」も主催しておられます。
実は葛城氏は僧侶としての資格ももっておられ、今回は僧侶として、つまり葛城玄幽として初の活動だったのです。
しかし葛城氏の自己紹介では「葛城トオルです」と仰ってました。(思わず「えw」となりましたが)
さて、今回の町歩きのコースタイトルは「平安京ゴーストバスターズ」。
葛城氏の王道コースであり、まいまい京都などでも人気のコースで、すでにこのコースは30回以上も行っておられます。
私も一度まいまい京都さん主催のこのコースに参加したことがあります。(私のブログ「家紋を探る」のエントリーでも書かせて頂いたことがあります。こちら)
逆に言えば、それほど完成されたコースであるということです。
コースは「一条戻橋→晴明神社→北野天満宮」という流れが主な内容。
晴明神社や北野天満宮に行かれた方は多いでしょうが、ガイド付きで行かれた方は少ないのではないでしょうか?
ガイド人によってもその内容は大きく変わります。一般的なガイドはあくまでも表面的なことしかお話されません。
さて、葛城氏の語ったガイドの内容とはどんなものだったのでしょうか?
(内容そのものにはあえて触れておりません。実際に参加して体験して頂くことが一番良いです。その方が絶対に面白い!)
順番にご紹介していきましょう。
一条戻橋
集合場所からもうすぐ側が一条戻橋。
現在の堀川は遊歩道が設けられていますので、気軽に堀川を散歩することが出来ます。(遊歩道は2002年から行われた堀川水辺環境整備事業と共に行われ2009年に完成)
設置された階段を降りて一条戻橋の見上げる位置まで移動しました。
ここでは一条戻橋の伝説の話を中心とした話をされました。
その内容は上記写真の説明書きのことももちろんお話されていますが、それだけで終わらないのがこのコースの醍醐味です。(その内容は実際に参加してお聞き下さいねっ)
晴明神社
次に訪れた場所は「晴明神社」。
ここでまずは一度小休憩を10分ほど設けました。この時間内に参拝や境内をご覧頂いたり、お手洗いなどを済ませて頂きました。(短いようですが境内は小規模ですので意外と見れます)
御朱印を頂いた方もおられましたよ!
晴明神社
晴明神社
晴明神社境内
堀川通りに面した晴明神社の鳥居から入り、参道を歩くと一本縦の通りがあります。
休憩タイム中に私が今回訪れて気になったものをいくつか次に載せておきます。
安倍晴明といえば「五芒星(ごぼうせい)」。この五芒星は「晴明印(せいめいいん)」「晴明判(せいめいばん)」「晴明桔梗(せいめいききょう)」「晴明鱗(せいめいうろこ)」など呼ばれるもので、他にも「ペンタグラム」などとも呼ばれます。
これは陰陽道の基礎となった陰陽五行説から成り立つものといわれます。
「木・火・土・金・水」の五つの要素から成り立ってます。これに方位が加わるなどします。
ついでなので、書いておきますが、これは密教における「キャ・カ・ラ・バ・ア」である「空・風・火・水・地」とは別ものです。こちらの五つの要素は五輪と呼ばれるものです。五輪塔はこれを表してます。
瓦に刻まれる清明桔梗
破風(はふ)の装飾(金色)にも刻まれる清明桔梗
破風の中央、左右にある金色の装飾にも清明桔梗が刻まれています。(写真が小さくて見づらいとは思いますが)
本殿の幕にも左右に刺繍で清明桔梗が
おやおや、こんな所に陰陽のマークがありますよ
狛犬
寺社仏閣で見かける狛犬。圧倒的に神社で見かけることの多い狛犬。
この晴明神社でも例外ではないです。
狛犬の設置されている場所というのは主に鳥居の前や社の前に建てられていることが多く、この晴明神社で同じです。
一の鳥居と二の鳥居にそれぞれ狛犬が対であります。
しかし、この写真の狛犬、どうも不自然です。
そう、対ではなく、単体であるのです。
これはおかしい。狛犬は対でなければならない。
つまりこの晴明神社には最低でも五体の狛犬がいるということになる。
対が基本だから偶数でなければならないのに。
狛犬は向かって右は「阿(あ)」であり口を開けています。これは本来は獅子。
向かって左は「吽(うん)であり口は閉じています。これは本来は一角獣(ユニコーン)。
吽の狛犬は本来の一角獣と中国に伝わったキリン(伝達の際に麒麟となる)が入り交じったものだと私は説を立てています。
いずれにしても狛犬は対であり、阿吽(あうん)が基本です。
(阿吽の概念は奈良東大寺の金剛力士像に影響されたもの)
この狛犬は写真を見ての通り、口は閉じてますから、「吽」です。
この狛犬の位置は参道の本殿に向かって右側、つまり北側に設置してあります。
本来の位置としては逆に設置してあるということです。
つまりこの狛犬には失われた阿の狛犬があったということですね。
それにしても位置を間違えるというのはあまり感心しないなぁ。改築する際の様々な都合があったとしても。
他にも数多くの清明桔梗や気になるものがたくさん!
それらはブログで以前にもアップしているのでそちらをご覧頂けると幸いです。
ブログはこちら
休憩が終わった後は安倍晴明のお話。
安倍晴明とはどういう人物だったのか、何をしていた人物なのか、そんなお話です。
因みに晴明神社は元々は安倍晴明の邸宅だったところに建てられた神社です。
私自身も何度も訪れている晴明神社。
2005年、安倍晴明没後1000年にあたるこの年に向けて晴明神社の社務所など、境内を大幅に改築されました。
かつての晴明神社はいかにも地元の神社といった雰囲気のある神社でした。
私の記憶では現在のわら天神の入口の雰囲気と似ていたような(?)気がしてます。
もちろんそれは陰陽師ブーム、晴明ブーム以前の話ですが、その頃私は子供で時折、この辺りも自転車で来ていましたが、晴明神社の前を通るのはなんだか嫌な感じがした記憶があります。そう、不気味な神社の印象があったんですよね。
今ではすっかり綺麗になっちゃって。(これが良いのか悪いのかは別として)
安倍晴明の余談、もう一つ。安倍晴明の墓は全国にいくつかありますが京都にもあります。場所はなんと嵐山(嵯峨)です。ご興味のある方は一度お参りに行かれては?
ちょっと下に写真掲載しておきました。
晴明神社でのお話の様子
安倍晴明の墓
京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町
鬼門マンション
晴明神社の次に訪れたのは鬼門マンション。
ここでは「鬼門」とは何か?という解説。皆さまがおぼろげに知っている鬼門の概念が変わる瞬間がここで明らかとなります。
そしてその話はとある「おとぎ話」の話へと繋がっていきます。
晴明神社から北上します
これらの写真の向かい側に鬼門マンションがあります。
写真掲載はしていませんが、コースに参加するとその真相が明らかに!?
金時
次に向かうのは・・・北野天満宮なのですが、小休憩も兼ねて千本今出川にある和菓子屋さん「金時」に行きました。
この金時さんで有名なのが「豆餅」です。豆餅と言えば「ふたば」のイメージがあるでしょうけど、ここも侮れないですよ!
北野天満宮へ向かう(今出川の北側をゆく)
千本今出川にて、源頼光の四天王のお話など
向かい側には和菓子屋「金時」
和菓子屋「金時」
和菓子屋「金時」さんに寄って、豆餅を
節分のこの日にぴったりの「豆餅」を食べる参加者たち
豆餅片手にパシャリ
上七軒
上七軒を通って、北野天満宮を目指します。
鬼瓦がたくさんあるこのポイントでお話が始まります。
ここで葛城さんがお話になられた後、私が「上七軒の団子紋」について簡単にお話させて頂きました。「上七軒」の由来や何故上七軒で「団子紋」が使われているのか?など。
途中「仁丹町名表示案内板(通称:仁丹、仁丹看板など)」についての簡単な解説。(京都市内にはたくさんの仁丹が見られます)
北野天満宮までに見られる紋章の解説なども私が軽くお話させて頂きました。
上七軒で見られる鬼瓦
「仁丹町名表示板」の解説
北野天満宮(渡辺綱の灯籠)
北野天満宮に着いたところで、タイムリミットが近づいてくる。東門から入り、本殿へと向かう。
北野天満宮には見るべきところはかなりたくさんあるのですが、今回は時間も無いという残念な状況でしたので、早々に目的地へ。
その目的地とは実は本殿です。
ここには下記の写真のような灯籠があります。この灯籠は屋根も付いていますが、本殿付近でもあまり目立っていないんです。
ですから、北野天満宮に訪れた多くの方も気づかないことが多いかもしれません。
この灯籠は「渡辺綱の灯籠」です。ちゃんと立て札もあります。
葛城氏は語ります。
「今日、一条戻橋からここまで歩いてきたでしょ。この距離感が大切なんです」
一条戻橋の伝説では渡辺綱が一条戻橋で鬼と出くわし、鬼の腕を切り落とします。
その腕はこの北野天満宮に飛んできたという伝説になっています。
渡辺綱の灯籠
渡辺綱の灯籠の前にて
東向観音寺〜蜘蛛塚〜
いよいよ最終ポイントへ向かいます。本殿から参道へ。つまり逆ルートとなるわけです。
今回残念ながら触れられませんでしたが、参道の二の鳥居から少し北へ行った西側に「伴氏社(ともうじしゃ)」があります。
伴氏社は菅原道真のご母堂が祀られているお社です。伴氏とは氏族名であり、道真の母のお名前ではありません。(名前は不明?)古代豪族大伴氏(おおともうじ)は800年代前期辺りで伴に氏を改めました。
道真の母は菅原氏に嫁いだ伴氏のお姫様だったということです。
因みにこの伴氏社にある鳥居は京都三珍鳥居の一つに数えられます。残りの二つは太秦の木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ:通称、木嶋神社、蚕ノ社)の三角鳥居や京都御所九條家跡の池にある厳島神社の鳥居です。
目的地は参道より西側にあるお寺さんです。東向観音寺(ひがしむきかんのんじ)。
この寺のご本尊は十一面観音菩薩です。(何故本尊に触れるかはまた別の機会にお話しましょう)
この寺の本堂の左手の脇道に足向けると、そこには蜘蛛塚があります。(写真では一部に微かに写ってるのみです。申し訳ございません)
この蜘蛛塚こそが最終ポイントです。
因みにこれも今回触れられなかったことですが、ここには先ほど解説させて頂いた、道真のご母堂である伴氏の墓(五輪塔)があります。墓とありますが恐らく供養塔でしょう。
この蜘蛛塚でガイドである葛城氏のお話は終わります。
そして一条戻橋から始まった全ての話がここに収束するのです。
町歩きはここで終了。
ご参加頂いた方々いかがだったでしょうか?
土蜘蛛塚と伴氏廟
たわらや(ランチ)
さて、町歩きも終わって、ガイドさんと参加者さん交えてのランチです!
今回ランチに選ばせて頂いたのはうどんのお店「たわらや」さん。
たわらや
暖簾に三つ俵紋が使われています
たわらやさん前で集合写真
※参加者の皆様へ:集合写真のオリジナルサイズをダウンロード(zipファイル)
「京都着物まち歩き〜平安京ゴーストバスターズ」にご参加頂いた方々、ガイドをして下さった葛城さんありがとうございました!
そして「着物お手入れ講座」へと続きます。
お手入れ講座編は現在作成中です。完成次第アップしますので、お楽しみに!