家紋の形状や紋名を人に伝える時には注意を怠ってはならない。
なぜならば、自分の思う紋と相手の思う紋が必ずしも同じでは無い、かもしれないからである。
お客様がお着物などに家紋をご注文された場合、一般的には何軒かの流通を経て我々加工業者に依頼が来る。家紋の伝達に至ってはかなり正確に伝えないと、とんでもない事となるのだ。
家紋の数は皆様方が思っておられる以上に存在している。
現在売られている紋帖は4千~5千もの数が紹介されているが、これらは今まで生まれて来た家紋の中のほんの一部なのである。
また、組み合わせや創作なども入れると数は無限。
それゆえ家紋の伝達はことのほか難しく、お客様が正しい名称をご理解された上、さらに正しく伝えていかなければならないのである。
家紋は紋帖によってその形や名称が異なることが多々ある。
その「違い」とは皆様の想像を遥かに超えた数で、伝達間違いの中ではその上位を占めている。
一番望ましい伝え方は正しい紋名と共に「紋帖名」を伝える、または「紋見本」をお付けになればいい。「紋見本」はもちろんプロの制作したものでないといけない。
この章では「紋帖による紋違い」以外で起こりうる伝達の間違いについて、私が関わった問題をご紹介していきたいと思う。
まずは小話程度に短い話しから。
これは同業者での出来事。
先からの依頼の紋名が曖昧であったため、紋帖をコピーし、ファックスで照会を願った。
ところが返って来た紋名は紋の左側の名称になっていたのだ。
紋帖での名称は全て紋の右側に記されているため、依頼の紋とは全く違うことになる。
幸い、紋にも丸で囲った印があったため、間違いは免れたのだが、紋名のみであったらとんでもない間違いを起こしていただろう。
これは照会の際、紋名を見やすくする為に紋帖を拡大したため、ページが全面にコピーされなかったことにある。
つまり紋帖に馴染みのないお客様が紋の名称を誤認してしまったということだ。
紋帖を初めてご覧になる方は、我々の想像もつかない勘違いをされることに驚かされた出来事であった。
「紋帖での紋名は右側に記されている」どうぞお間違えのないように。
口頭による伝達は最も間違えやすく危険だ。
言い間違いや聞き間違いはもちろんだがこういったケースもある。
ついつい、よくありがちな「五三ノ桐」を「桐」と略したり、「違い鷹ノ羽」を「鷹ノ羽」で済まそうとする事がまれにある。
我々の加工現場では「桐」や「鷹ノ羽」と聞けば、「五三ノ桐」や「違い鷹ノ羽」だと多くの場合思ってしまうのだが、やはりそこには危険が充分潜んでいる。
そもそも「桐」や「鷹ノ羽」などは正式名称ではない。紋帖を見ていただければ分かることだが、例えば「平安紋鑑」では「桐」の項目には123点、「鷹ノ羽」では44点もの数が掲載されている。さらに「陰」「中陰」での表現方法も加わってくる。
また、「丸輪」や「角」、「菱」などの付加を組み合わせれば、それはもうとてつもない数となってくる。ちなみに「輪」が28種、「角」が18種、「菱」は12種、掲載されている。
そしてこのようなケースもある。
先ほどご説明したとおり、桐のバリエーションは数多く存在する。「五七ノ桐」をご依頼されたお客様がそれをご存知でない場合、ご自分の家紋が単に「桐」で伝わると思い込んでしまう事がある。また、ほとんどの家紋に「丸」が付く地域がある。そこでのお客様は伝達の際に「丸」を省いてしまい、例えば「丸に五三ノ桐」を「五三ノ桐」と不十分に伝えてしまうのである。
次に口頭伝達による間違いで幾度となくあったケースをご紹介しておこう。
「五瓜に唐花(ごかにからはな)」
紋帖では旧かな使いであるため「瓜(くわ)」となる。この紋は略して単に「五瓜(ごか)」と呼ばれることが多い。
「五つ鐶(いつつかん)」
そこでまぎらわしいのがこの「五つ鐶」である。同じく紋帖では旧かな使いのため「鐶(くわん)」となる。
この紋は紋帖「標準紋帖」「紋づくし」では「五鐶」と送りがなが省略されているため「ごかん」と読まれる恐れがあり、上記の「五瓜」と間違う危険が生じるのである。
話は変わるがこれは当社での出来事。
業者から電話でこのような問い合わせがあった。
「お客様から『つるがしわ』の紋を依頼されました。しかし紋帖を見たのですが、『鶴』の覧にも『柏』の覧にも見当たりません」
業者はお客様から聞いた「つる」を鳥の鶴だと思い込んでいたのである。
実はこれは植物の「蔓」であり「蔓柏」として「柏」の覧に掲載されているのである。
やはり口頭では危険であるため「先方様に伝票をファックスで依頼して頂くように」という事で改めて確認を願ったのである。
我々業者も含めて、家紋は紋帖名と紋名を正確に伝えるべきであるのだ。
先ほどの業者(第二話)だが、再び電話が入った。
「お客様からファックスが来ました。やはり私が間違っていました。『鶴柏』だと思っていましたが『蔦柏(つたがしわ)』でした。」
この業者は今度は「蔓」を「蔦」と読み違えたのである。
この「蔓柏」と同じ様なケースで「蔓片喰(つるかたばみ)」がある。
これも以前に業者の間違いで紋の入れ替えを頼まれた事がある。
この右上画像は「紋典」のみであり、他の紋帖「平安紋鑑」「江戸紋章集」「紋の志をり」「標準紋帖」「紋づくし」などは全て右下画像なのである。
紋典は需要度も高い為、文字による名称だけではやはり危険が潜んでいるのである。
また気をつけなければならない1つに「向う(むこう)○○」「向い(むかい)○○」がある。
紋帖では旧かな使いのため「向ふ」「向ひ」である。
前者はモチーフを「真向き」に表し、後者はモチーフを対象に「向かいあう」と定められて
いる。
これらの間違いの危険性を防ぐため、「平安紋鑑」と「紋典」では「向ひ」を「対い」と改めている。しかし他の紋帖が存在する限り、間違いを起こす危険性を秘めている。
文字や名称の書き間違いや読み間違いは言うまでもない事だが、他にこういったケースもある。
例えば「蔦」の注文の際「丸なし蔦」と書かれてある場合。これはうっかりすると受け取った側が「丸に蔦」と勘違いしてしまうという危険性を伴う。
つまり「丸」という字だけで誤認してしまう事があるのだ。紋帖をご覧頂ければ分かることだが、家紋は丸のないものが原形で、丸が付く時のみ「丸に何々」と書くのである。
この「丸なし何々」という依頼の考えられる原因について話しておこう。
家紋は各地によってその種類や組み合わせなどが片寄っている。例えば丸付きの家紋が多い地域では、家紋は丸が付いて当たり前だと思い込んでしまう傾向にあるのではないだろうか。
いずれにしても間違いを避けるためには、紋帖通りの名称で伝えていきたいものである。
家紋伝達の際にお客様が正式な紋名が分からず、絵を描いて依頼されることがある。これはおやめになった方がいい。そして受け取った業者も安意に素人の絵を信用してはならない。
家紋はまずプロでない限り、その形を正確に読み取る事は難しく、またその形を正確に描く事も難しい。
例えば、本人は丸のつもりで描かれても割合寸法を違えれば違う「輪」になる。
「丸の巾は紋の直径の約9分の1」という暗黙の上で成り立つ。
この「約」というのは、紋のデザインによっては多少の誤差も必要だからである。しかしそれ以上に太くなれば「中太輪」や「太輪」になり、細ければ「中輪」や「細輪」「糸輪」になってしまう。
このように微妙な違いが全く違った名称に変わってしまうのだ。
また、白い紙に黒で描く事が多いことからそれがとんでもない間違いに繋がる例もある。
以前、当社にこのような商品が持ち込まれた。依頼内容は、仕立て上がったばかりの黒留袖の「紋の入れ替え」であった。
見れば「石持地抜きに木瓜」が入っていた。紋帖では見たことはあるが現物では初めてであった。
いきさつを聞いてみると、「四方木瓜」を入れなければならなかったが、お客様から渡された絵をそのまま加工業者に渡し、依頼したというのだ。
私自身、その絵は見ていないが、恐らく、「四方木瓜」を描いたつもりが、少し横長になったり、白い紙に黒く塗り潰したのであろう。
今回の原因はお客様が紋名を明記せず、ご自分の絵で伝わると思っていた事と、加工業者が安意に素人の絵を鵜呑みにした事にある。
「四方木瓜」より「木瓜」の方が圧倒的に数多いので間違いやすい。先程申した通り「石持地抜き」はめったにない。それに素人の絵は一目で分かるはずである。
やはり加工業者の方から確認を取るべきだったのではないだろうか。
着物に入れる家紋をご注文される際、風呂敷や袱紗などの印染め類を見本に使われる事がまれにある。この印染め類を見本にしたために起こり得る間違いや、また解釈の違いなどを話していきたい。
現在、女紋としてもかなり多く知られている「五三ノ桐」で説明させて頂く事にしよう。
五三ノ桐(右画像)に注目していただきたい。
五三ノ桐が「日向(ひなた)」で表されている。(日の光に当たっている表現。陰はその逆である)
上部が花を表し、下部が葉を表している。この葉の葉脈の線を「スベ」と呼び、スベが描かれている家紋を「スベ紋」と呼ぶ。
さて、葉をよくご覧頂きたい。
一枚の葉の片側のスベが4本あるのが分かって頂けるであろうか。これが「五三ノ桐」の基本形である。
ところが画像中央の「陰(かげ)五三桐」のスベは3本なのだ。これは陰を表す上絵(墨の線)が複線(線は背面と同化)となり、スベ自体が太くなるため、数を省略してバランスをとっているのである。その下の「石持地抜(こくもちじぬき)五三桐」も同様である。(右画像参照)
※上図は背面を白くしたものである。陰紋を表現するためには二重の線が必要だという事が分かって頂けるであろう。仮にこれが4本となればさらに込み入ってしまい、違和感を感じることとなる。通常は右図のように背面には色が付いていることが多い。
印染め類に入る家紋は着物の紋とは違い、上絵がない。色物の場合、家紋は白抜きで表し、白地の場合は色や黒の面で表す。従ってラインは墨の上絵のように細くなく、面であるため当然太く上がってしまう。そのため、上記の「陰」や「石持地抜き」と同様にスベの数を省略するのである。
以前、当社でこのような事があった。
あるご婦人が仕立て上がったばかりの黒紋付(男物)のしみ抜きを依頼に持ち込まれた時の話しである。
商品を見せて頂きながら説明をお聞きしている時、ふと紋に違和感を感じた。なんと、蔦の紋のスベが3本なのである。不信に思い尋ねてみると、注文の際、見本に袱紗を渡したのだという。
本来、印染め見本を手渡されても、依頼された業者は着物の場合、やはり元の4本に戻すのが通常である。ところが中には、お客様がこの印染め類の3本(スベ)を間違って認識されているケースがある。こういった場合、お客様がそうおしゃっても、やはり業者側から一応は説明すべきだろう。
このご婦人の場合、スベの数など全く意識になく、単に「蔦」を伝えるためであった。見本を受け取った業者がそこで何の確認もせず、その通りに作ってしまったらしい。
その日の夜にそのご婦人から電話が入った。
「家に帰るや否や、お爺さんの紋付を確認したら全ての紋のスベは4本でした。お爺さんに気付かれないうちに紋の入れ替えをお願いします」
五三ノ桐 | 蔦 | 三つ柏 |
袱紗 |
先ほどご紹介したスベ紋は一般的には4本だが、中には例外として3本、または5本以上のものも存在するのだが確立はかなり低い。
やはりそこで業者が確認をしていればこのような間違いは起こらなかったであろう。
この話しを印染め業者に聞いてもらった。すると今の話しとは逆の答えが返ってきた。
「袱紗や風呂敷を注文される時に、着物を見本に預かることがある。一応『スベは3本になります』と訳を説明し、了解は得るのだが、中にはうちは4本だと強く主張される場合いがまれにある。その場合はおっしゃる通りにはさせて頂くが、出来上がりは騒がしくなり、むしろ不自然になってしまう」
例えば「五三ノ桐、蔦、三つ柏」などのスベは本来4本だが、印染めでは3本に省略してしまうのが一般的だ。線が太く上がるために致し方がない上、むしろその方が自然に見えるためである。画像は紋帖と袱紗を比べたもの。袱紗がデフォルメされ、スベの数が省略されている事が分かる。
これは当社での話しである。
得意先から紋入れの依頼があり、「丸に浜松根笹」と明記してあった。手持ちの紋帖や資料を調べても見当たらず、まず上絵師に尋ねてみた。
「以前に依頼はあったが、結局見本を作っただけで仕事はしていない」
という返事で、その時の紋見本(右画像)がファックスされて来た。
早速、それを得意先にファックスで照会したが、先方は「何か少し違うように思える」ということで、その先の小売店に依頼し見本に着物を送って貰うことになったという。
数日後、到着した着物の背紋をコピーしたもの(右画像)がファックスされて来た。
見比べると笹の葉の形が違う。
上絵屋にあったものは笹が左右対称だったが、得意先のものは笹が左に3枚、右に2枚となっていた。そしてもう少し得意先からのコピーを注意して見ると、背縫い部分にあたる中央の葉にずれがある他、上の枝部分も何かおかしい。
これは背紋のコピーだ。
もしかするとキセ(縫い目を隠すように被せるわずかな部分)が深かったのでは?だとしたら中央の上の枝は二股ではなく、3本ではないだろうか?
もしそうであれば、これは「丸に七五三根笹」ではないのか。
早速、得意先に問い正してみたところ、やはり私の読みは正しく、「丸に七五三根笹」の依頼であった。家紋の上部の仕立てのキセがほんの1ミリ深いだけで家紋が全く違ってしまったのである。
今回、間違いは免れた訳ではあるが、この例でもお客様が式な紋名を伝えななかったことと、得意先がコピーに頼ってしまったことにあるのではないだろうか。
森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。
森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る、
京都家紋研究会