月に蝙蝠

蝙蝠と聞くと不気味だとか、オカルトだとか、ホラーだとか、そんなイメージをお持ちではないだろうか。
それは西洋におけるイメージであり、日本では吉兆の象徴なのである!

第一話 「その魅力とは」

月に蝙蝠
月に蝙蝠

さて、いきなりではあるが、この紋をじっくり見て頂きたい。(右画像)
これがこの章での主人公とも言うべき紋、「月に蝙蝠(コウモリ)」である。
素晴らしいデザインで、とても洗練された紋だ。

実はこの紋には不自然だと思われるカ所が二つあるのだ。
今、読んで下さっている貴方はこの紋を見て、何か違和感を感じるであろうか?何も気にならないであろうか?
この問題はまた後に触れていく事にしよう。その為にもこの紋をよく覚えておいて頂きたい。

以前、大宮華紋で制作した「月に蝙蝠」。
ブック(当社オリジナルの大宮華紋と色想きものをまとめた作品集。販売中)や作品などで人に見て頂く機会がよくあり。驚いた事に反応は決まって好評で、依頼も意外と多く、その方々を虜にしている。
以前放送された、NHKテレビ「とびっきり京都 ~いにしえのデザイン文様~アフターレポート参照)」でも、まるで月に蝙蝠が番組の主役であるかのように、大きく取り上げてくれた。
コウモリの印象は良くないと思っていたが、そうではないようだ。

大宮華紋で制作した「月に蝙蝠」
大宮華紋

下画像は男性の方からの依頼だったものだ。
本来なら月とコウモリの空間は地場である。今回は小紋柄なので柄が入るべきなのだが、演出効果を上げるために藍鏡技法を取り入れ、この空間を紋場(画像でいうと青い部分)と見立てた。

一寸(男物の小紋)
一寸(男物の小紋)

さて、この紋の魅力とは本当にコウモリなのだろうか。それともこのデザインなのであろうか。

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第二話 「コウモリについて」

コウモリは自由に空を飛べる唯一の哺乳動物で、中でもその種類はかなり多く、その数は約1000種。これは全哺乳類の1/4もの数なのである。日本各地でも至る所で生息し、その数は30種を超える。
コウモリは目が弱く、超音波を発しその反射により物体を的確に捉える事が出来る。その能力は我々が目で物を捉えている以上に優れている。群れで飛んでいても接触する事が無いのはこの為である。
顔は意外とひょうきんで豚や鼠の顔によく似ている。牙が少々怖いが、見慣れてくるとその顔は案外と可愛いものだ。

語源は一説によると川を守る「川守(かわもり)」だとか。川の上を飛んでいる姿がこのように連想させたのかもしれない。(広辞苑によると、「かわほり」別称:かくいどり、へんぷく、天鼠)
中国では長寿を意味し、蝙蝠の「蝠」は幸福の「福」に通じるらしく、縁起ものとして扱われている。当然、我が国にも吉祥文様として渡って来た。しかし一般的には気味悪い動物として扱われてきたようである。

コウモリと言えば、ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」だ。ルーマニア、トランシルバニアの串刺し王の異名を持つブラド・ツェペシュがそのモデルである。彼のトレードマークであるマントはそのままドラキュラのイメージとされ、そのマントからコウモリが連想された。

また、コウモリをダーク・ ヒーローものとして扱ったものも多い。海外ではティム・バートンの「バットマン」また日本では永井豪の「デビルマン」がある。
以前、お遊びでデビルマンの大宮華紋を制作したことがある。

月に悪魔人間
月に悪魔人間
月に悪魔人間

いかがでしょうか。これをご存知か否かで、世代がはっきり分かれるようである。
私の世代では「黄金バット」。しかしこれもまた世代で分かれ、テレビアニメ世代では正義のヒーローであったが、もっと昔の紙芝居時代では悪なのである。私は言うまでも無く、その古い世代である。

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第三話 「種類の少ない蝙蝠紋」

蝙蝠
蝙蝠
光琳蝙蝠
光琳蝙蝠
丸に真向かい蝙蝠
丸に真向かい蝙蝠
『日本家紋総監』より

さて、話を「月に蝙蝠」に戻すことにしよう。

この紋が掲載されている紋帖は平安紋鑑のみであり他の紋帖には存在しない。
そもそもコウモリの文様は徳川時代からとされているが、その数はかなり少なく、家紋にもあまり登場していない。
吉祥文様として中国より伝わり、害虫などを退治してくれる縁起のいい動物として扱われてきたのにも関わらず、何故かコウモリに関する文様は非常に少ない。
西洋文化が入ってきた事で、コウモリに対する印象が変わったという事も原因にあげられるであろう。他に何か理由があるのかも知れないが、これ以上の事は分からない。残念である。

紋帖に掲載されている蝙蝠紋は全部で3点。「月に蝙蝠」と「蝙蝠柏」と「蝙蝠桐」である。他に私の見つけた蝙蝠紋は以下の通りであるが、いずれも紋帖からの引用ではない。

左と中央は家紋関連の書籍に掲載されているもので、右は日本家紋総監からである。
このように蝙蝠紋は大変少ない。

昭和11年、平安紋鑑により突如現れた「月に蝙蝠」は昭和の感覚であろうか?
やはりこの魅力とはデザインではないだろうか。家紋特有の左右対称や分割された部類ではなく、あくまでも動きで見せる絵画的なもの。しかも緻密に計算された美しさがある。
それに比べて上記画像のコウモリ紋はどれも滑稽だ。
左の蝙蝠は明らかにおかしな翼と爪?のようなものが見える。不自然だ。
右画像の丸に真向かい蝙蝠では、何がどうコウモリなのかが全く確認できない。しかしこれは墓石からのものなので致し方ないのであろう。

※【2014年追記】右画像の「丸に真向かい蝙蝠」は『日本家紋総監』に掲載されているもので、蝙蝠の項目に掲載されているが、これはどうやら蝙蝠ではないようである。
しかしこの紋の正体が何かは現状ではまだ解明されていない。
拓本は家紋を収集することに適しているが、場合によっては目視と違う結果をもたらすことがある。実際にこの家紋が刻まれた墓を見ることでまた違った解釈が出来る可能性も秘めている。(森本勇矢)

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第四話 「違和感」

コウモリの話から変わるが、読んで頂いている方の混乱を防ぐ為に、ここで少し「平安紋鑑」についてお話ししておく必要がある。
現在、販売されている平安紋鑑は「改訂版(十版)」と「縮印版(改訂版)」の2種類だ。しかし私が仕事で使用している平安紋鑑は「五版(昭和60年)」と「八版:縮印版(昭和59年)」である。
今回登場する平安紋鑑は全部で4種類。それを以下のように略して文中で使用させて頂く事にする。

  • 『平安紋鑑』:五版(昭和60年) → 旧版
  • 『平安紋鑑 縮印版』:八版(昭和59年) → 縮印版
  • 『平安紋鑑 改訂版』:十版(平成13年) → 改訂版
  • 『平安紋鑑』:初版(昭和11年) → 初版

さて、ここで冒頭を思い出して頂きたい。
冒頭でお見せした「月に蝙蝠」は旧版のものである。読んで頂いている貴方は何か気づいたであろうか?
さて、ここでもう一度見て頂こう。

旧版
旧版

翼手の先端上部にあたる部分に違和感を感じないだろうか?
私も最初は気づいていなかった。
気づくきっかけとなったのは、「とびっきり京都(NHK)」の実際の放送を見た時の事である。
紋帖の「月に蝙蝠(白黒)」が大宮華紋の「月に蝙蝠」とオーバーラップしていくシーンがある。白黒の状態の家紋に色が付いていくというにくい演出なのだが、その時に違和感を感じたのだ。
自分の作品に変わった時に、ふと翼手の先端部にあるものが消えたのである。これはどういう事なのか?
NHKに資料として渡した紋帖は旧版であった。しかし私が大宮華紋を制作に使用していたのは「縮印版」だったのである。

縮印版
縮印版

右記画像をご覧頂きたい。ご覧の通り縮印版では先端部分は消えてしまっている。
これを資料に使っていた私はまさか、先端部に何かがあるなどとは想像もしていなかったのである。(この一件以来、縮印版は使用していない)
旧版を見た時、「なるほど、これは爪だな」と直感的に思った。

知人などに色々と聞いてみたところ、ほとんどが「何も気にならない」と答えた。次いで「シミに見える」という意見もあった。そして興味深い意見として「手に見える」という意見まであったのだ。確かに「爪」と答える方もおられるのだが、その数はやはり圧倒的に少ない。コウモリの骨格について詳しく知る人は意外と少ないのである。
私もコウモリの骨格にはそんなに詳しくは無いが、あれは親指の爪だ、という事だけは分かった。

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第五話 「爪の謎」

「親指の爪」ともう一つ以前から少し気になっていた事がある。それは「翼手の骨格デザイン」である。
このコウモリの翼手の骨格デザイン。美しいが不思議な事に、私にはまるで「木の葉の葉脈」にも見える。これは家紋ゆえのデザインなのだろうか。

今回、また新たにこの大宮華紋の依頼があった。女性の着物ではあるが1寸の男紋サイズという特別注文である。
そこで今回は問題点である、「親指の爪」と「骨格ライン」を自分に納得がいくよう、正しく制作してみたいという衝動に駆られた。
そのため私は初版が見たくて、初版をお持ちである上絵師にお願いをした。
私の想像では、旧版の消えかかっている「親指の爪」がきちんと描かれているはずなのだ。しかしお借出来たのは2000年出版の「改訂版」であった。
これでは意味が無い。理由を聞くと、
旧版の印刷が良くないために上絵師10人で全部修正し直した。初版本よりも改訂版の方が分かりやすい。
との事であった。とりあえず、お借りした改訂版を見る事にした。
しかし改訂版ではまたまた不可解な事が起こっているではないか。
なんと、親指の爪(第一指)が大きく逆三角形に描かれているのだ。これは一体どういうことなのか。
旧版ですら「手に見える」という意見まであったのに、これでは下手をすれば「何かを持っている」という意見まで現れてきそうだ。
明らかに不自然だ。

改訂版
改訂版

私は納得がいかず、もう一度お願いして初版を見せてもらう事にした。
しかし私の期待とはうらはらに、それは想像とは全く違うものだった。

初版は改訂版ほど大きくはないが、やはり少し逆三角形になっている。カギ状の爪の表現なのだろう。
これだけを見ていれば疑問は起こらなかったが、結局の所、旧版とは大した差は無かったのである。
だが、やはりあの改訂版には納得がいかない。 幾人かのコウモリ研究家にも見て貰ったが私とほぼ同意見であった。
初版の方の第一指は飛んでいる蝙蝠をよく観察している。これは見事な家紋だ。
このような意見を言う研究家もおられた。しかしこれは私の求める答えでもなんでも無いのだ。

初版
初版

改訂版の「親指の爪」の件に関してはもうこれ以上の事は分からない。描き直した上絵師の感覚と私の感覚に違いがあっただけなのであろう。そう自分で納得をせざるを得なかった。

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第六話 「コウモリの骨格」

まだもう一つの問題が残っている。それは「翼手の骨格ライン」である。
念のため、コウモリの骨格を自分なりに調べてみた。その結果、やはりコウモリの骨格とは矛盾したものであった。やはり私には葉脈にしか見えないのだ。

コウモリの翼手はムササビやモモンガとは違い、前足の指が発達したもので、人でいう手なのだ(間接に至るまで人の手の骨格と基本的には何ら変わら無い)。
鳥の翼には羽根がついているのに対し、コウモリの翼は薄い膜で出来ている。ちなみにムササビやモモンガには前足と後足の間に膜がある。

コウモリの骨格
奈良教育大学附属自然環境教育センターのサイトより引用

コウモリの骨格については上記の画像を見て頂いた事で分かって頂けたであろう。
「月に蝙蝠」は写生的にコウモリを描いてある為、あの骨格ラインは明らかに矛盾しているのだ。
その点がまだ私には疑問なのだ。

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第七話 「擬態画」

この章はここで皆様のご意見を求めて終わる予定だった。
ところが紋帖にコウモリを形取った柏と桐があった事を思い出し、画像の追加にとページを開けてみた。するとどうだろう。なんと、こんな身近なところに私の疑問の解決の糸口があったのだ。

蝙蝠柏 総陰三ツ柏
蝙蝠柏(平安紋鑑、紋典、標準紋帖、紋づくし)
平安紋鑑、紋典、
標準紋帖、紋づくし
蝙蝠柏(江戸紋章集)
江戸紋章集
総陰三ツ柏(平安紋鑑)
平安紋鑑

これはコウモリを柏の形で描いたもの。江戸時代後期に流行した擬態画、つまり遊び絵なのである。
全てが葉で組み合わされた構成で、第一指は爪らしく表現されている。総陰三ツ柏の葉脈を意識して、蝙蝠柏を見れば、実にユニークである。

蝙蝠桐 葉陰五三桐
蝙蝠桐(平安紋鑑)
平安紋鑑
蝙蝠桐(紋典、標準紋帖、江戸紋章集、紋づくし)
紋典、標準紋帖、
江戸紋章集、紋づくし
葉陰五三桐(平安紋鑑)
平安紋鑑

これもまた見事な出来栄えである。
平安紋鑑を見ている限りでは気がつかなかったが、ご覧の通り、他の紋帖では右の第一指(親指)にあたる部分が花びら3枚で表わされてる。葉陰五三桐をご覧頂けば、その擬態画特有の面白さが分かって頂けるであろう。

「蝙蝠桐」や「蝙蝠柏」は大正4年の紋づくしにはすでに掲載されていた。
そして「月に蝙蝠」だが、新たな事実を発見した。

江戸時代、遊び紋(しゃれ紋など)が流行し、当時のデザインした上絵師らがファイリングしてたくさん保管していた。しかしそれらは家紋として使われた記録は残っていないのである。
さらに江戸後期、歌舞伎役者の七代目団十郎が蝙蝠の柄を流行らせたという記録が残っている。
この事からもそのファイリングされた中に「月に蝙蝠」があった可能性が非常に高いのだ。

冒頭でも述べたように「月に蝙蝠」は平安紋鑑(昭和11年)より掲載された。平安紋鑑の制作時、当時の上絵師は江戸時代より伝わるファイリングから人気の高いものを抜粋し、掲載したとされているのだ。
疑問の「骨格ライン」はこれらの江戸時代に制作された擬態画や遊び紋が元になっているのではないだろうか。

第八話 「新作」

新作(下書きの原画)
新作下絵

今までなにげに見ていた家紋でも、ふとした事で疑問に感じる事がある。しかし今更それを改める事に何の意味があるのだろうか。間違いを正す事により、何かを失うのかも知れない。
「月に蝙蝠」が持つ美しさとは、謎めいたその不自然さにあるのだろうか。何とも不思議な世界である。

最後になったが、是非、見て頂きたいと思う。
これは私の新作オリジナルの「月に蝙蝠」である。翼手の骨格ラインや親指の爪をそれらしく描き直した。
いかがであろうか?紋帖のものと見比べてみても、こちらの方が「コウモリらしい」事が分かって頂けるであろう。

新作
新作

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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