姿なき家紋

名称だけが伝わる家紋とは一体何なのか!?

第一話 「株竹とは何か?」

もうかなり以前の話である。
東京のある着物研究家の方からファックスが届いた。
三階松に株竹(さんがいまつにかぶたけ)』のコピーがあれば送って欲しい
という内容のものだった。
それは私自身も聞いたことの無かった紋名で、一通り手持ちの紋帖を繰ってみたのだが見当たらなかった。これは詳しい事情を聞く必要がありそうだと思い、早速その方に電話で聞いてみることにした。
私の生徒の家に『三階松に株竹』という紋が伝わっているらしいのですが、名称だけで形になった物がどこにも残っておらず、手持ちの紋帖を見たのですが、載っていないのです。
しかし家紋の名称だけが伝わっているとは、なんとも不思議な話である。
その後、私もあらゆる資料を探したが、それらしいものは見つからなかった。紋名で「三階松」はよくあるが「株竹」という名称を私を聞いたことが無い。さて、この「株竹」とは一体どういったものなのだろうか。

株竹笹菱
株竹笹菱

そして再度資料を探してみた時、ついにその手がかりを発見する事が出来たのだ。
手持ちの紋帖である「紋の志をり」に株竹笹菱(かぶたけささびし)という家紋が見つかったのだ。
この紋を他の紋帖で調べると「五枚竹笹菱」「五枚笹竹菱」の名称で掲載されていた。やはり「株竹」という紋名を使用しているのは「紋の志をり」のこの一つだけだった。
行き詰まった私は家紋研究の権威者に電話で尋ねてみる事にした。
その紋は土佐の綾氏族が使っていたもので、元は三階松であったものに他の紋と合成させた。しかし今では合成したものを再び分離し、三階松を本紋、他を副紋として使われている。
という返答を貰うことが出来た。流石によくご存じだ。
しかし形としてはその家紋研究家の元にも無かったのである。得たのは少しの情報だけで結局は何も進展しなかったのである。

情報が無いに等しい・・・、手詰まりである。
他に紋に詳しい人間はいないだろうか?紋に密接な関係があるといえば、やはり上絵師だ。
そこで私は3人の上絵師に事情を話してみる事にした。しかしやはりというか3人共見たことも聞いたことも無いという。
ところがあくる日、上絵師の1人Z氏から電話があり、
私の大先輩に尋ねたら『紋名は無かったがそれらしい紋を見本付きで昔に描いた事がある。しかしその見本は見当たらない』という意外な返事を貰いました。
これは今までで一番の情報ではあったが、肝心の紋見本が見つかっていないので、結局はこれ以上の進展には及ばなかったのである。

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第二話 「創作に挑む」

景一デザイン
景一デザイン(画像1)

そこで私は発想を変え想像を巡らし「三階松に株竹」を描いてみることにした。
家紋というものは決まり事が存在する。紋のデザインと名称は必ずしもではないがほぼ対となっている。つまり紋名からある程度の形を推測する事が可能という事だ。
まず名称から左右に並んでいるという事が分かる。この場合、主となる方から読み上げるのだが、私は松を左、竹を右に置いてみる事にした。竹は左三階松とバランスをとる意味で、対照になるよう竹にもアールをつけてみた。
これが 私なりの「三階松に株竹」である(画像1)。私は上絵師ではないので文廻し(ぶんまわし:毛筆のコンパス)は使えない。全てフリーハンドで描いたものだ。見苦しいのはお許し願いたい。これはあくまで私の推測によるデザインだ。本来のものとは違う可能性も充分にあり得る。

数日後、相談を持ちかけた3名の上絵師の1人T氏から電話があった。
「三階松に株竹」を描いてみたという。なんとも嬉しい知らせ。早速T氏のもとへお邪魔した。
流石はプロである。見事な紋を3パターンも描き上げてあったのだ。

T氏デザイン
画像2
T氏デザイン
画像3
T氏デザイン
画像4
T氏デザイン

Z氏デザイン
Z氏デザイン(画像5)

私の道楽にお付き合い頂き本当に感謝している。
この3点の紋を拝見し、本来の上絵師の姿(デザイナー)に出会えたように思えた。

次の日の事である。先輩にそれらしい紋を描いた人がいると言っていた上絵師のZ氏。
何というタイミングであろうか、T氏に続き自分なりの「三階松に株竹」の紋を描いて、わざわざ持参してくれたのである。
なんと私が描いたものと構図がよく似ているではないか。
これも流石プロという感じである。

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第三話 「古い家紋との出会い」

Z氏デザイン
画像6(Z氏デザイン)
Z氏デザイン
画像7(Z氏デザイン)
荒枝付き左三階松に切り竹笹
画像8

さて、それから数日経ったとある日の事。
これらの紋を眺めつつ手持ちの家紋の資料に目を通していた。
ふと目にした竹の覧の「真っ直ぐに伸びているものの定義」に「一本竹、株竹または生竹」とあった。意外であった。最初に見た「株竹笹菱」が菱であったがために、すっかり惑わされていたのである。
「株竹」とは垂直に伸びたものであったのだ。そして日本家紋総鑑では、少しでも曲がった竹は全て「曲がり竹」、円に近いものは「竹の丸」と称している。完全な円となると「竹輪」になるのである。
となると、私の描いた画像1、Z氏の画像5は「三階松に曲がり竹」、T氏の画像2は「右三階松に曲がり竹」、画像3は「曲がり竹に右三階松」、画像4は「竹の丸に右三階松」という紋名に変わってしまうのである。

その事をZ氏の報告すると、「じゃあ、もう一度描き直しましょう」との返事。なんと嬉しい話、まさに職人魂ではないか。
Z氏の描き上げた画像6には笹が施されていたので、
切り竹笹になるので笹の代わりに枝にして頂けませんか
という注文を付け加えさせて貰った。そして出来上がって来たのがこの2点。

やはり画像7には笹がある。お好きなのでしょうね。しかし竹が垂直である為、バランス面から見れば笹があるといいかも知れない。
という事で依頼者に経過などをふまえながらご報告したのである。

しかしそれから一ヶ月ほど経った頃であろうか、Z氏が先輩の所から例の紋見本が見つかったということで、またまた持参して下さった。
私はこれを見て思わず顔がにんまりとなってしまった。なんとも愉快ではないか、実に楽しい。

果たしてこれが本当に「三階松に株竹」なのだろうか。
この絵はかなり古いものであろう。今の紋帖にはない感覚だ。Z氏が描いたように笹があり、また松には荒枝(あらし)もある。正確に言えば「荒枝付き左三階松に切り竹笹」であろう。

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第四話 「幻となった家紋」

そこで私は松について色々と調べてみた。
紋帖で三階松の左右を定義しているのはどうやら平安紋鑑だけのようであった。他の紋帖は「左、右」を明記していない三階松が多くある。
明治24年出版の「伊呂波分紋帳大全」では素描きでこの「荒枝付き左三階松」が単に「三階松」と掲載されていた。「株竹」という名称も恐らくは古い呼び名であったのだろう。
この事からも分かるように、この家紋は紋帖が完成されるまでに現れその後また消えていったのだろう。正に幻の家紋なのである。

いずれにしても洗練されたデザインとは言えない。全く円に収めるという感覚がないのだ。いっそうの事、丸で囲んでしまう方が落ち着くのではないだろうか。
しかし私は何度見ていても飽きない。無造作に立ちはだかった竹に甘えるかのように寄り添うような松。荒枝が手のようにも見え、足元も浮き上がっている。私にはなんとも微笑ましく見える。
これが依頼の紋ではないのかも知れないが、このお陰でいいものに出会えたような気がした。

現在に至るまで紋帖は幾度も改正(紋帖:参照)されてきた。そしてその度、紋は消え、生まれてきた。今回の「三階松に株竹」の他にも姿なき家紋がまだ存在するかも知れない。

さて、皆様方にはどのように感じて頂けたであろうか。

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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