女紋 -おんなもん-

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まとめ

当サイトで分類させて頂いた「6つの習慣」は大まかな分類である。あくまでもこれらは基本的なものとしてご理解頂きたく思う。この基本的な習慣はそれぞれが重なり合う事も多い。すでに例外としていくつかはご紹介したが、ここでももう少し紹介しておこう。

例えば当サイトでは「五三ノ桐」を通紋に分類しているが、これが母系紋や替え紋として使われている事も考えられ、家紋(男紋)である事も十分にあり得る。またこれらの例は実際にも多い。
女紋を継承していた時代や地域での大家(たいけ)では複雑に絡み合った女紋が沢山存在していたという。そしてそこには家々の力関係も関与していた事であろう。

地域による違いでは「東日本は武家文化」「西日本は商家文化」というように分かれていた。現代では「東の建前文化」西の人情文化」ともいわれている。
建前文化は江戸で政治が行われたことによって生じた上下関係の厳しさが原因となり、連帯を求めようとしていた。
人情文化は商いによって活気づいたことにより生まれた文化だ。母系での連帯意識や結束がかなり強くなったのは「女紋の歴史」でも述べたとおりである。

女紋は全ての家に存在している訳ではないという事は、もうすでにご承知の事であろう。女紋は「お家騒動を収める」ことを始めとしたことにより始まっている為、女紋がある家系はそれなりの家柄である可能性が非常に高いのである。

また女紋は「女性に家紋を使わせない」という男性社会が生んだ差別の一つだったのかも知れない。
そんな悲哀の影にも負けず女性は母として強く生きてきた。
いつしかそのような悲哀も見えなくなり、現代ではその意味も曖昧なものと成ってきた。しかし悠久を得た今では「話し合いにより新しく作られる可能性を秘めた習慣」として人々に息づいて来ている。

これからの女紋は枠に囚われず、もっと自由に楽しいものであっても良いのではないだろうか。
そう、最も家紋が華やいだかつての元禄のように。