女紋 -おんなもん-

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母系紋

最も多いとされる女紋の典型的な例。
母親が代々、娘に伝えていくという習慣の女紋。一般的に「母の紋」「母譲りの紋」などと呼ばれている。女紋を語る上で最も重要な習慣であるといえる。

継承について

「母から娘、そして孫娘」へと伝えて行く。これは姓が変わっても女子が途絶えるまで継承される。
実家の紋(生家の紋)と混同や勘違いされやすいが、これはれっきとした母の紋である。

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母系紋の継承経路は上記のような形となる。家紋(男紋)の継承経路とは対照的である。
「母から娘、そして孫娘へ」という言葉はこの経路図を見て頂ければ一目瞭然であろう。
これは冒頭でも前述した通り本人を基準とし、母系紋を使用している家系同士の縁組みを想定した架空の継承図である。

地域について

江戸中期から発生したとされる女紋は、各地によって異なった習慣が定着していった。この母系紋の習慣は尾張から西に発生したとされ、現在もなお瀬戸内海沿岸を中心とした西日本に定着している。

母系紋の成り立ち

女系の集まりでは一目で分かるという一種の連帯感や安堵感。嫁ぎ先(婚家)でも自分の持ち物(財産)として明確な目印になるともいわれる。
そして驚いたことに「いつ戻されてもまた直ぐにでも間に合う」という話まである。結婚前から離婚、再婚までが計算されているのだ。つまり自分の財産を意思表示しておく意味があったのであろう。また、母譲りの紋を調度品に付けて嫁がせるのは、女性の財力や発言力が根底にあったともいわれる。
江戸時代末期、上方を中心とした商品流通経済の枠組みが、瀬戸内海沿岸から広がりを見せる母系紋と同じくしているのは単なる偶然ではないだろう。
この頃、関東では商家や庶民より武士の割合が多い「武家文化」が栄え、一方の関西では武士よりも商家や庶民の多い「庶民文化」が栄えていた。これが東西の文化を変える要因であった。
これを軸に現代とは異なるが、関西の商家では男子を外に出し、女子に家を継がせるという母系社会の習慣が生まれ、根付いたという。婿は使用人の中から優秀な人材を選び、家を安泰させたそうだ。しかしその後に再び男社会が復活しても母系紋の習慣だけは関西に根付き続いたという訳である。
女紋の歴史についての正確な資料が見つからない現状では、これが母系紋の発生とその流れであったと推測が出来るのではないだろうか。

このような言い伝えをご存じであろうか。
悪霊は背後から忍び寄る。背中の紋はその守りである
嫁ぐ娘に祈りを込め、母の紋を背負わせたのもこういった親心からかも知れない。里から遠く離れて暮らす娘は母親譲りの紋が何よりの支えであったのであろう。
また、とある地方では女の子が生まれると桐の木を植えたという。桐に娘の成長を託し、この桐の木で嫁入り支度の箪笥を作ったという話がある。正に娘を想う親心そのものである。
死後、魂が実家へ帰る」という言い伝えもある。娘の安らげる本当の場所とは故郷(ふるさと)の母の元。男社会の陰で彼女達は強い血縁の絆を求めていたのである。
母譲りの紋を伝えていくのはそういった女達の執念や我が娘を想う優しさであり、又それは強い結束なのだ。

母系紋の具体例

例.1
Aさんの家では家紋である「丸に梅鉢(まるにうめばち)」以外に「揚羽蝶」を祖母から母へ、そしてAさんへと譲り受けて来た。Aさん本人もそのお気に入りのその紋を娘に受け継がせた。

丸に梅鉢
丸に梅鉢
揚羽蝶
揚羽蝶

例.2
Bさんの家では家紋である「違い鷹ノ羽(ちがいたかのは)」以外に母が持って来た何代も女系に続いてきた女紋「桔梗(ききょう)」がある。娘がいればこの桔梗を継がせたいのだが、今の代で女子が途絶えそうだ。

違い鷹ノ羽
違い鷹ノ羽
桔梗
桔梗